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近況:自分はなぜ飽きるのか

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このあいだ、「ゲームに飽きたと言っている人はゲームに飽きたんじゃない。成長していないことに飽きたんです。」というプロゲーマー・ウメハラさんの講演でのセリフが話題になってましたね。
ゲーマーである自分としては、この人の凄さみたいなのが知られるようになるのは嬉しい限りです。
講演自体物凄く内容の良いものなので、興味がある方は見てみてください。ゲーム好きなら必見、そうじゃなくてもぜひどうぞ。

まぁ、例の話はゲーセンで格闘ゲームをやっている人を見て、という話なので、これはスマホでゲームをするくらいの人たちには当てはまらなかったりするんですが、何はともあれ、”飽きた”ということを、”このコンテンツは消費/堪能しきった”という意味以外で口にする人が多いのは間違いないと思います。

と言っても、ゲーム作りに関して言うと、このゲームを続けたい! と思わせるモノを作るのが作り手の使命でもあるわけですから、別に成長しないことに飽きてやめるのが悪いことだとは思ってないです。
ゲームに限らず、テレビや映画やマンガなど、そういったコンテンツは、いかに続けてやって/観て/読んでもらえるかに制作側の意識が向いているところはあると思いますね。

それで自分の話なんですが、自分はかなり飽き性で、いろんなものを少し触ってはやめることが多く、一つのことを長く続けたことがないタイプなんですよ。
いちおう2歳のころから今までゲームをやっていましたが、ゲームの場合は無数にタイトルがあって、クリアしたら他のものをやる感じだったので、ちょっと継続とは違うかなと思ってます。(ちなみに、一番プレイ時間が長いゲームで3500時間くらいでした。)

自分は自己分析が好きなので、ウメハラさんの講演を見て、自分はなぜ飽きるのか、についてを考えてみたところ、自分は”作業”に感じた時点で、”飽きたということにしてる”んだなということに気づいたんですね。

「なるほど、このゲームが上手いとはこういうことで、上達するにはこういった取り組みが必要で、こういった思考ルーチンが最適で......」というのがあらかたわかってしまい、後は時間をかけるだけという段階に入ると、そこから先はもう自分の中では作業でしかないと。
例えば、29×31とか、めちゃくちゃ解を得るのに手間のかかる数学の問題があったとして、この際自分が楽しいと感じる部分は、答えを出す過程の”解き方”を考えているところであって、はじめから筆算の仕方を教えられて、じゃあ解いてくださいって言われても、それは作業じゃないかと、そういう理屈です。
ちなみに、そういう理由で数学はあまり好きじゃなかったですね。

人によって飽きる理由というのが様々あると思うんですが、割とそういうところからも、自分に向いていることとか、改善するべき考え方とか、プラスになることがあったりします。

自分にタイムリーな話をすると、ゲームを昔ほど楽しめないのは、ゲームに関することはあらかた理解してしまって伸びしろが少なくなっているから、そろそろゲーム以外のことをやってみた方がいいんじゃないか、とか。

今回の思索で、中学校の時の理科の先生が、しきりに「こんなもん(答えのこと)だけ覚えたってしょうがないんだよ、その過程が大事なんだって」と言っていたのを思い出しましたね。
ほとんどの人がその話を無視して聞いていなかったけど、あの時、この言葉の意味がわかっていなかった普通の人たちは、いまは理解できているのだろうかとか、ちょっと気になったりしました。
あまり生徒に好かれていない人だったけど、自分は好きでしたね。

脱線しました。いやあ、それにしても本物のゲーマーは頭がいいですね。
ウメハラさんしかり、自分しかり。

 

以上です。